庶民信仰のお寺で厄除け祈願
おふさ観音にまつわる物語
おふさ観音というお寺の成り立ちには、ちょっと特別な物語があります。
今現在お寺が建っているあたりには、江戸時代、「鯉が淵(こいがふち)」と呼ばれる、大きな池がありました。
その池のほとりに、小さなお堂があり、そこに観音様がまつられていたのです。
その観音様は、色々なお願い事をかなえて下さるとして、近隣の村の人々に厚く信仰されており、大切にまつられておりました。
明治時代になって、そんな人々の間で、観音様をおまつりする大きな本堂を建立する計画が持ち上がりました。
様々な人々が協力して寄付を集め、現在の本堂を無事建立することができたのでした。
素朴な祈り
その完成した本堂に高野山からお坊さんを紹介してもらい、現在の高野山真言宗別格本山へと発展してきました。
時の権力者や有力者、特別な地位の人によって建立されたのではなく、地域の生活に密着した庶民の手によって建てられたお寺なのです。
おふさ観音は、日々の暮らしの悩みや苦しみから救ってくださる観音様をおまつりする、庶民信仰のお寺として、今も有り続けています。
そんな観音様のお徳を授かろうと、現在では地元はもちろん日本全国から、特に厄払いのお参りに来られる方が急増しております。